◆1945年8月15日の夕方に父 木村虎次郎と母 錠の間に生まれた子です。愛知県一宮市花池に生まれる。この日は太平洋戦争が終わった日です。正午に昭和天皇がラジオ放送で敗戦を宣言した日です。虎次郎が妻に「今夜は戦争が終わったので灯火管制が解かれ電気がつくので安心して産みなさい」と言ったそうです。その事を思えば、日本中で戦後生まれの一番手だと思われます。言うならば平和のために生まれたのではないかと思います。兄弟は9人です(二人は幼い時に死亡)私は次男で8番目に生まれた。
当時は男尊女卑で長男が優遇の封建的な時代でした。そんなことで次男など要らないみたいな立場で肩身がせまく恵まれませんでした。当時は運動靴もなく学校にもタイヤで作ったような万年草履でした。運動場では当然の様に裸足でした。そしてランドセルなどなく布の袋でした。又長男は三輪車を買ってもらいましたが次男はなしでした。この様に常に差別が存在していた時代です。
そんなことで次男の私は自然にハングリー精神が育ったと思います。他人に負けたくない、「今に見ていろ」という根性が育ちました。だからこそ徒競走は誰にも負けない子に育ちました。そのせいで学校の校庭を毎日何回も一人で走っていたことをはッきりと覚えています。
◆上記のことが高校(起工業高校)でも十分に発揮しました。どちらかと言えば誰でもはいれるあまり学力が要らない学校でした。運動クラブは楽そうな軟式テニス部に入りました。そこでも負けづ嫌いの精神を発揮して他人より2倍も3倍も練習しました。その結果愛知県大会で準優勝してインターハイに出場できました。この起工業高校では滅多いない快挙で全校生徒(約1000名)を運動場に集めて壮行会を開いてもらいました。全国大会は伊勢の広大で華やかななテニス場で行われました。ここでは1勝1敗で終わりましたが2戦目は団体で準優勝した土佐高校でした。個人戦では4対2で負けました。しかし無名の起工業高校では信じがたい快挙でした。コーチもいなく、担当の先生もボールも打てない先生でした。相手はプロの様なスマートで強い選手ばかりです。一瞬こちらが恥ずかしくなりました。しかしこちらの根性がここでも発揮できたと思っています。
前列右が私です。後列の真ん中がペアー(前衛)の藤森君です。
頭がよくきれ、きれいなフオームで(後衛の)私を助けてくれました。
今は何をしているのだろう?
懐かしいです!
上下とも、私が高校三年生の時の写真です。
先の戦争では、この様な凛々しい若者が戦地で死んでいったのですね。
悲しく、いじらしく涙が出ます。
二度とそんなことがないようにしたい。
我々大人の責任は限りなく重いと存じます!