■前のページにはテニスのインターハイ出場の事を書きました。しかしここからは波乱の人生になります。インターハイが終了して直後足首をくじいてしまいました。疲れが出たかもしれません。その後は体全体に倦怠感が出て病院通いが始まりました。その為国体の出場は辞退してしまいました。どうも内臓も弱りテニスができない体になってしまいました。そしてそのショックで登校できなくなりました。卒業式も欠席して、そのまま学校には二度と行くことがありませんでした。天国から地獄に落ちました。その後2年間は泣かず、飛ばずでうつ病になったようでした。
2年後ようやく体も戻りましたので、木曽川町の毛織会社に途中入社しました。しかし、毎日下働きばかりで働くことの喜びは一度も味わったことがありませんでした。一宮市の言葉、嫌み、ずるさなどどうしてもなじめることができませんでした。この会社は間もなく廃業に追い込まれました。そして新たに紹介いただいた織物工場に入社いたしましたが、ここでも途中入社でまともな仕事がなく机さえない状態でした。この会社も男性は日頃パチンコ、マージャン、競輪などの話ばかりでずる賢い社員が多く私にはなじみが薄いこすからい会社でした。ここも2年くらいで退社しましたがこの会社は財閥でしたが間もなく倒産いたしました。
そんなことが続き、私は東京に行きたくなりました。そのごろの日本は流行歌が華々しく始まり、橋幸夫、森進一、三田明などが毎日のようにデビューして花盛りでした。そんなことから私も歌手になりたいと思い東京に行くことにしました。最初はキャバレーのボウイをしながら早朝は掃除のバイトもこなしました。これは3ケ月ほど行いましたが、新宿の公園で休んでいた時「ジューキミシ」ンという会社から営業の勧誘を受けました。そして山手線当たりの住宅地を絨毯爆撃する電化製品の割賦販売のセールスを行いました。
その仕事も3か月ほどで、やめて懐かしい故郷に再び戻りました。しかし元来遊んでぶらぶらすることが嫌いな私はあくる日、新聞記事で見つけた名古屋の日産サニー中部の営業員の募集を見て応募いたしました。そして幸運にも合格したのでした。その会社の給与は固定額で月25万円でした。そして歩合給もあり売り上げに応じて更に加算されました。当時信じられませんでした。というのも、一宮の毛織物会社の給与はわずか月2万円ほどだったからです。その上に日産ではサニーを無料貸与されて、自宅でも使うことができました。まるで夢を見ているようなことでした。
社内では一宮の「アランドロン」と言われていました。自分でも納得していました。
私の担当地区は名古屋の中区丸の内2丁目で大都会でした。私も繊維の専門高校で少しは学び、毛織会社でもそれなりの仕事をしていたので背広の着こなしも少しは上手だと思います。給与が高いので時々舶来の背広や、夏には高価な麻の背広で営業をしていました。まるで、映画俳優の様ないでたちでした。そんな派手な服装でも一切注意を受けずに済みました。セールスは売ってなんぼの世界です。
お客様には礼儀正しく、優しく、こまめに行いましたので毎日が楽しく営業できました。
営業のマナーとか、車の知識などほとんど知らずよくぞ営業できたと今でも思っています。その反面朝は7時30分にはすでに出勤していました。全社員でもほとんど毎日トップでした。私の次に出勤されたのは川村常務でした(実質の経営者)。2年目ほどで1度1か月19台販売した時があります。この時は朝から晩まで死ぬほどの忙しさでした。まずお客様の下取り車の査定をして、夜の訪問で商談します。その後契約すれば多くの書類をそろえます。警察に行き車庫証明も取り、社内書類をそろえます。その後お客様から要望も受けます。納車が終わっても色々なことが起こり善処します。紹介者がいれば挨拶も欠かせません。
それに担当地区の日ごろの訪問もあります。たまには遠方まで商談に行くこともあります。又、時々アクシデントも出ます。競争相手から嫌がらせも入ります。同僚からの批判も入ることもあります。まさに社長と同じくらい忙しくなります。
お陰様で2年ほどで営業主任にしてもらいました。この会社はセールスマンだけで100名いました。毎日忙しくて仕方ありませんでした。そんなことでセールスはやればやっただけ数字が出ます。セールス以外ではそれが分からず正直者が損します。だからこそ負けず嫌いの私にとっては楽しくて仕方ありませんでした。
しかし結婚した後いきなりオイルショックに見舞われました。元来神経が細い私はガソリンが入らなければ営業などできないと思いました。それと同時に結婚したばかりで毎日帰宅が9時、10時では家庭が持たないとも思いました。担当地区のお客様で庶務課の部長をされていたユーザーにさりげなく相談したら賛成してもらいました。君の様なセールスならどこに行っても務まる、自分で商いもできるとおほめいただきました。そんなこともありすぐに退職を決めました。その他にも自社の社内でも上司に可愛がられ上手く立ち回るセールスがいることが分かりました。私が一番嫌うことでした。