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 第一章 昌益はこう主張した
 
  人間のは完全に平等である
 安藤昌益は、封建社会の幕藩体制下にあって、元禄・享保・宝暦などと呼ばれる頃、八代将軍徳川吉宗が支配していた一七〇〇年代の前半という時代に、ヨーロッパのいかなる近代革命のなかにも見いだすことができないほど鮮烈で燦然たる人間平等の思想をうちだしている。
 昌益は、人間に上下・尊卑・貴賤の差別をいっさいみとめず、《人ハ、万万人ナレドモ一人ナリ、
一人ナレドモ万万人ナリ》(自・廿五)と主張した。士農工商の四民制という封建的な身分別秩序に
まっこうから反対し、《人倫二ナンノ四民アランヤ》(統・糺聖)と喝破し、
 《人二オイテ上下・貴賤ノ二別ナシ》(自・大序)
 《上、君モ人ナリ、下、民モ人ナリ》(自・廿五)
と言ってのけ、次のような堂々の論をはっている。
 《転下二人ハタダ一人ナリ。タダ一人ノ人タルニ、誰ヲ持テ上ヲ君トナシ、下ヲ臣トナシ、然ルコト
ヲナシテ王トナシ民トナサンヤ。・・・・・・コノ一人二オイテ誰ヲ治メンヤ。王政ヲナサンヤ》(統・   糺聖)
 これがじつに福沢諭吉の百年も前に吐かれた言葉なのである。西欧思想に触発された諭吉よりもはるかに透徹した平等思想が、外来思想としてではなく、日本の国土に自生・自発したものとして、昌益によって謳いあげられていたのである。彼は、
 《君ヲ立ツルハ・・・・・・万悪ノ本ナリ》(統・糺聖)
 《自然ノ道ニハ、君ト民ト云フコトコレナシ》(前同)
 と断言している。諭吉は「天は、人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」の名言によって、人間に上下はないとの平等一般を天の名によって主張したわけだが、昌益はたんに平等一般を
説くにとどまらず、君権の全面的な否定という具体的論を通じて平等を説き、天そのものをまで
否定したのである。
 世にこれほど徹底した平等の観点、君主制の否定、封建的身分秩序への反抗はあるまいと思われる。昌益と前後する同時代人はもとより、二百年後の明治においてすら匹敵するものを見出せない人間平等の思想であり、それは近世日本の思想史上に比類なき破格のものである。
 
   男女は一対一で愛により結ばれる
 昌益はこの人間平等観を、男女対等論にまで貫き、《転定二シテ一体、男女二シテ一人》(統
・糺聖)である男と女とは、《上ナク、下ナク・・・・・・二別ナキ》(自・廿五)ものであると言い、男女を
完全に対等なものとみなした。男尊女卑の家父長制が最もひどかったと思われる徳川時代に
あって、彼は《男女》と書いて《男女 ヒト 》とふりがなし、「人 ひと 」と読ませるほど男女を対等
にあつかった。彼にあっては、“人“とは“男女“のことであり、“男女“にしてはじめて“人“であり、
したがって“人“とは《男女 ヒト》なのである。
 昌益は、日本ではじめての徹底した人間平等の思想家であり、かつ、現代日本においてすら
まだ見かけることがむづかしいほどの完璧な男女対等論者であった。
 この平等観にもとづいて昌益は、
 《夫婦ハ一人二シテ、互イ二他夫他女二交ワラザルハ人道ナリ》(統・糺聖)
 と、一夫一婦論を強調する。彼は、武士の妾蓄を批判し、商人の遊郭経営を攻撃してやまない
。これも当時として全くどこにも見当たらない特異なことがらである。
 昌益はまた恋愛の賛美者でもあった。
 《此ノ男女ト彼ノ男女ト、互イ二相知ルコト、自然進退ノ一道ナレバ、終二親和シテ・・・・・・夫婦
トナル》ことこそ《人倫夫婦のノ始メ》(統・人倫)だとし、《感和・妻合スルハ、乃チ人ノ花咲キ子ヲ結
ビ・・・・・・草木ノ花咲クト、人ノ妻愛スルト、何クニ別アランヤ。・・・・・・夫婦感愛ハ自然相続ノ真
道》(統・糺仏)と、恋愛‣性愛・夫婦愛を《真道》と呼んだ。当時はまだ”恋愛”という言葉すらなかっ
た時代に、彼は、西鶴的・町人的な「好色」という言葉をいっさい斤け、わざわざ《華情》という美
しい言葉をつくり出してまで《男女ノ恋事》をたたえている。
 
   夫婦愛は父子・君臣(封建倫理)よりも強い
 昌益の道徳観では、《夫婦ハ第一倫》であり、《親子ハ第二倫》と位置づけられる。この君臣・父子よりも夫婦を優先させる発想はまったく珍しいものである。当時の常識では第一倫として人びと
の観念を支配していた「君臣の義」などというものを彼は吹き飛ばしてしまい、忠も孝も、仁も義も
、完膚なきまでに否定してしまう。人間の心身を金縛りにし、がんじがらめに締めつけてあらゆる
封建道徳——たとえば三徳(智・仁・勇)、五常(仁・義・礼・智・信)、五倫(君臣・父子・夫婦・兄弟
・朋友の序)、四民(士・農・工・商の別)などーーこれらすべての徳目に、ことごとく徹底的に反対
し、その欺瞞性を暴露し、これを弾する。道徳と政治とがまだ未分化であった封建社会にあって、彼の封建倫理への仮借なき糺弾は、じつはそのまま政治権力への闘争でもあったわけである。彼は、封建的秩序と抑圧のすべてを紛砕しようと、おどろくべき破壊力を発揮したのである。
 昌益の封建制批判の鋭さと深さとは、他に比肩すべきものがない凄絶なものである。同時に彼は、平等と清廉と愛情の旗じるしをかかげ、近代的自我の創出のために、懸命の努力を払った稀有の思想家であり、ヒューマニストであった。
 
   人間の本質は労働にある
 昌益は、人間の本質、人の人たる所以を生産労働という営みに見出した。禽獣とは異なる人間
存在の尊さは労働をすることにあると考え、人間の真に自然な姿は、《直耕シテ、業ヲ転定トトモ
二為ス》(統・万国)ところにこそあるという。彼は、
 《人道ハ・・・・・・直耕ノ一道ナリ。・・・・・・コノ外、道ト云ルコト絶無ナリ》(自・廿五)
 と言いきった。
 《直耕》とは、人間の直接生産労働を基本に、これになぞらえて生物の繫殖活動や自然の生成
運動などをとらえ、これらすべての創造活動全般を意味する昌益独自の新造語であり、昌益の全思想体系を支える中心概念の一つである。《男ハ耕シ、女ハ織ル》という生産労働こそが、
およそ人間というものの本質なのだということを、おそらくは世界ではじめて明確につかみだした
一人の人物が、独創的に造りだした言葉が、《直耕》の一語なのである。
 しかも昌益は、およそ人間労働なるものはすべて社会的労働であり、人間とは社会的動物であり、群集であり、大衆であるというふうに把握している。だから彼は、
 《真ノ仁ハ直耕シテ・・・・・・徳ヲ転二同ジクスル者二シテ、コレ衆人ナリ》(統・糺聖)
 という。《衆人》—ーこの”衆”の一字が重要である。労働する生産者大衆こそが真人間だと高唱
する昌益は、
 《衆人ハ・・・・・・天神ナリ》(自・六)
 《直耕者ハ・・・・・・コレ転子ナリ。故二転下ノ至尊・・・・・・》(統・糺聖)
 と言い放つ。彼は、勤労大衆を”至尊の天子様”と呼んだのである。
 昌益は、日本ではじめての、そして世界でもはじめても"労働の哲学者"であり、"大衆の思想家"である。
 昌益の時代にあっては、勤労大衆とは当然のことながらその大部分は農民のことである。昌益は徹底して農民階級の立場に立ち、その利益を擁護し、農民階級のみが《真人》であるという。
 《農ハ、直耕・直織シテ、安食・安衣シ、