2500年前の仏教の開祖釈迦如来について今後詳しく学び、原始仏教の教え、釈迦如来の本当の思想、生い立ち、心理、望み、実体等をこめ細かく分析してみたい。
現代仏教の教えは確かに釈迦如来の思想を土台にしているが、当初の原始仏教とは基本的考え方、思想、求めるものなどが全く違うものだと思う。言ってみればお面は一緒でも心が違うのではないかと思う。
確かに禅宗のように入門時の修行の2~3年は釈迦如来の活動と同じようなことをしている。しかし、それでもまだ甘いように思える。問題はその修行は、死ぬまで行うのが仏教僧の務めでないか。しかし2~3年で修行が終われば僧侶の免許が下りる。そして、それだけでプロとなりお経を唱えるだけで大金と莫大な不動産が自分の懐に入るのが普通である。
こんなものが宗教と言えるのだろうか?せめて世の中の不幸な人々を見つけほんの少しでも良いので助けるのが僧侶ではないのか!普段の僧侶の姿をを拝見していていつも思うことだが、皆さんはどう思われるでしょうか。
釈迦の時代は当然ながら一汁一菜、無財、朝は4時前から起きて、掃除をしてお経を唱え、座禅をして、毎日托鉢をし、時には困った人を助け、又生きる心がけを教え悟して深夜寝ていたのではないか。しかし、この頃の住職が托鉢をしているところなど、私が生まれてこの方見たことがない。これでは僧侶ではない気がするがいかがなものか?もしかして商売人の我々と同じではないか。いやそれよりあさましいかもしれない。
釈迦如来の時代は衣でも人々が捨てた衣を紐解き、着ていたものである。それがどの様に間違ったかもしれないが、いかにも高そうな衣を羽織っている。それどころか金襴緞子(きんらんどんす)の衣をきて大衆に見せている困った僧侶ばかりである。