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現代日本仏教会で最高位の河野太通老師は誠に残念である。

 
 
 
                       2023/11/30  木村 康一
 

 1  河野太通老師とのかかわりあい

 
 
私は在家修行を毎日しています。 しかし一般の住職のような贅沢はしておりません。毎日一汁一菜を目標にしています。そして釈迦如来の教えを真面目に実践しています。 最近その様な清貧な僧侶を見たことがありません。 
 
僧侶なら自然と頭が下がるような姿勢、言葉、雰囲気を見せてもらいたい。現代の僧侶は一から出直して、昔に戻り本山で修行をやり直してもらいたい。    在家修行者   木村康一
 
 
 
 

 
上記の河野太通老師の記者会見のユーチューブは今から5年ほど前に、偶然にも出くわしました。当時の仏教界の会長のこの記者会見を見て私は体にふるえが来ました。
 
老師がされた記者会見の内容は人間としては明らかに当然だったが、今までの地元、国内の僧侶、住職を見た限りでは信じられないことでした。
 
先の戦争で行ってきたことは、2500年前の釈迦如来の教えとは100%違うものである。仏教の僧侶、住職は特にあってはならぬことをしてしまった。そのことも釈迦如来から破門されても当然だと思う。しかしそのことだけではなく戦争が終わり70年、80年たった現在も仏教界にかかわる人物で誰一人も反省、謝罪の弁がなかったのである。
 
誠に恐ろしく、こんな人たちが宗教活動をしていることに驚くしかありません。なすすべがない。その大罪を河野太通老師が記者会見で世界にアピールしたのである。
 
河野太通老師の記者会見はそんなことで、他の僧侶よりは評価できます。しかしレベルが低すぎて何とも云うことができない。
 
しかし他の僧侶では誰も言わなかったことを言われたので、私はそれでもとてもうれしく感動しました。本当にありがたいことだと何度もこの記者会見の動画を見たものです。
 
                                        2023/11/30  木村 康一 記
 

 
 
 
                        河野太通老師
 
河野太通老師は、仏教会会長、禅宗で臨済宗妙心寺派管長、花園大学学長をされた現代僧侶の中で間違いなく一人者である。又、釈迦如来の教えのど真ん中を歩まれた僧侶である。
 
 
 

 2 次は私と河野太通老師の往復書簡について

 
思いがけなく、河野太通老師の2012年の記者会見をユーチューブ動画でみて、私は非常に感動した。日本の仏教会にはほとほと失望していた私は、数日後河野太通老師に、期待を込めて手紙を書いた。
 
私は今まで、マスコミに出てくる有名人、政治家など40~50人ほど手書きの手紙を出したが誰一人として返信する者はいなかった。知人にそのことを話すと、「当たり前だ」と何度か言われた。しかし他人から手紙をもらって無視するのは、人間として恥ずかしいことではないかと思う。ましてや日本は民主主義国家である。国民がみな平等だという事くらい犬でも知っているのではないか!
 
返信しないのは忙しいのではなく、自分より格下の人を軽蔑、侮っているのである。そういう者ほどけち臭く、教養がないのである。そういう人に、手紙など出さなければよいが、しかしいくら何でも一人や二人くらい智者、正直者、正常、真面目、常識人がいてもよいではないか!
 
この記事を書いていて思い出した。40年程前、進歩党という党を立ち上げた田川誠一先生がおられました。その党首から手紙をいただいたことがありました。悲しいかなそれくらいしかなかった。実に嘆かわしいのが日本の知識人?有名人である。それは自治体政治家、民衆も全く同じことである。なんとも恥ずかしく、嘆かわしい者たちである。
 
話はここでも横道にそれたが、河野太通老師にはいつものように丁寧に詳しく次のように手紙を書いた。河野太通老師の記者会見を見て非常に感銘を受けた。ところで記者会見からすでに数年たちますが、河野太通老師が記者会見で国民に約束されたことはその後どうなりましたかと直言した。ただそれだけである(約束とは、日本国、日本人、臨済宗・妙心寺派の戦争責任を明らかにすること、そして改めて正しく心からの謝罪と不戦の誓い)。
 
手紙にそれ以上は必要ないと思ったからだ。その後私の手紙に返信をいただきました。上記に書いたように今までのことがあるので、天下の仏教会の会長が返信するはずがないと半ばあきらめていた。だから、返信をもらった時は特に驚きました。その手紙は草書で読めないくらいの達筆で、めったに見れないくらいの貴重な手紙だった。
 
手紙の内容は私は92歳になり今は、隠居生活で小さい寺の住職をしており暇があれば畑で野菜を育てている身分である。だから遠い愛知県まで行くことができません。などという返信でした。
 
私は、何も河野太通老師に手紙で愛知県まで来てほしいと言ったのではありません。当然ながらこちらから、河野太通老師が住んでおられる寺に出向く覚悟をしていました。老師が住まれる兵庫県姫路市まで行くのはそれほど苦労とは思っていませんでした。これは当然の話でした。
 
河野太通老師の手紙の内容、字体などを考えますと、又住職をされ農業をされているのなら体調に問題がなさそうでした。なので、こちらからの訪問のお許しをいただいたら姫路まで行くつもりでした。今回はご自分が愛知県に行くのは難しいという返事で終わりました。
お互いの言い分がかみ合わない返信内容でした。
なんだか、はぐらかされたような気分になりました。
 
                                      2023/12/05 木村 康一 記
 

 
 
今回は以上です。次回は2回目の手紙と返信のことを書かせてもらいます。 ご期待ください。!
 
それからしばらくしてから2回目の手紙を郵送した。先回の老師の返信では私の問いに答えていただいていないので、失礼にならないように書いた。少し勘違いされていたように思うので、私の方から姫路の老師の寺にお伺いするという事をさりげなく書いたつもりです。
 
私も国民の一人として、老師の記者会見には非常に誇りにしていることも再び書いた。そして今度こそはと、期待して姫路の寺への訪問許可が出ると首を長くして待っていたのでした。
そして2回目の返信が届いた。その内容は、今年は住職として寺の修復をあちこちで行いましたとの報告が主な返信内容だった。年末に檀家に出すような手紙の内容でした。
 
いやいや、手紙は草書で素晴らしいものでした。家宝にでもなるのではないかと思える貴重な文字である。しかしその内容は、またまたはぐらかしの手紙である。いかにも庶民を馬鹿にしたような気がしてならない。いくら何でも罰当たりの手紙ではないか。正直者をなめているとしか思えない。とても腹が立つ。これが仏教会の会長、妙心寺館長、花園大学の学長をされた最高地位の老師がすることかと憤慨した。
 
本当に残念で仕方がなく失望しました。これではご自身が天国に行けやしないと思うが、私の考えの方が間違いなのかと思ってしまう。あまりにもひどい手紙なので思わず破り捨ててしまった。
 
そんな頓馬な出来事でした。
 
                                     2023/12/09 木村 康一 記