それは、日本人は命令されたらなんでもするロボットだったということである。江戸時代もそうだった、日本人は集団で同じように行動するのである。又、何も考えず、感情もなく、、悪げもなく、反省も一切できないのである。人間ロボットは日本人にお似合いかもしれない。特に最近の日本の姿は顕著になっている。ロボットの行為を怒っても全く通用しない。私は浅はかだったようである。日本人は思想、哲学、礼儀,優しさなど一切持ち合わせていない人種だったかもしれない。
そのことをよく知らないと、かえってロボットに厳しく反抗されこちらが捕らえられる。相手は実質生き物でないので、何をもってしても勝てるはずがない。第二次世界大戦、日清、日露戦争もその図式だった。だから感情をもって相手に向かっても勝てる相手ではない。こんなことを今朝初めて気がついた。生易しいロボットではなく、恐ろしい最新鋭のコンピユーターロボットである(身体は人間の様な)。
そのため日本人のすることに反抗せず、じっと我慢するしかないのである。これこそ仕方がないのである。
釈尊は、釈迦族の王子として生まれ一切不自由のないぜいたくな暮らしをしていた。しかし、なにも困らないロボットのような生活に悩み苦しみだした。そして家族を捨てて家出したのである。歴史の本には、庶民の惨めな暮らしを見て失望して家出したことになっている。しかし、私はそうでなくロボット生活の不自由さに恐怖を持ったのだと思う。歴史はこのように、その時代に都合の良いように書き換えるのである。
だから情けないロボット国である日本に対して、釈尊は若いころ自分も同じ心境だったことを認識して、助けるために今は日本の上空におられるかもしれない。だから仏教は世界で今、日本が一番普及しているのかもしれぬ。そう言えば、インドも一時その様な境遇にあった。マハトマ・ガンジーが活躍した時代である。
当時イギリス帝国主義国家の奴隷だったインドは、今の日本とうり二つだった。そこをガンジーが「塩の行進」などで、インドをイギリス帝国主義のロボット化から抜け出したのである。その時代にも多分、釈尊はインドの上空におられインドを救われたのではないか。
日本国民が現在のロボット化から抜け出すには、インドの様に釈尊、マハトマ・ガンジーの様な人物の力を借りなければ収まらない。
これは私の勝手な空想かもしれないが、笑ってお読みください。なぜ私が世界で一人も考えたことがない、日本人のロボット化という記述が書けるのかも不思議である。そして、これまでの私に起きた不思議な多くの事柄もなんとか理解できる。
私が日本の終戦日(1945年8月15日の夕方に生まれたことや、豊臣家の七奉行の一人である
木村長門守重成とのこと、大阪平和資料館建設に関しての不思議なたくさんの出来事、普段誰も浮かばないアイディアが泉のように浮かんでくること、誰も考えたこともない日本女性新党、自給農民党や市川房枝さんの誰もできない「理想選挙」を自ら完全に実践したこと、日ごろから第二の釈迦如来になりたいと言っていること、第二の
市川房枝にもなりたいと言っていること、日本仏教界の元会長だった
河野太通老師(約94歳)をたしなめたこと、原始農法を始めたこと、日本の政権をいただきたいと堂々と常に語っていることなどなどである・・・・・
釈尊の日本ロボット化のこの話も単なる私の妄想かもしれません。
しかし不思議なことが多すぎます。今、釈尊が上空で静かに見守ってくださっている気がする。だから、今すぐ良識派の皆様と一緒になり日本をロボット化から脱却させたい。
※釈尊と釈迦如来は同じです。
有名なマハトマ・ガンジーの糸車
キムラインターナショナルギフト、日本女性新党、自給農民党代表 木村康一