1920年(大正9年)岐阜県益田郡生まれ。岐阜県立斐太中学校を経て、昭和14年陸軍工科学校卒業。台湾で敗戦を迎える。
昭和20年11月復員、実家に戻り農業を継ぐ。
昭和29年採種養鶏をはじめ養鶏を循環農業の一環に取り入れる。
昭和48年、採種から採卵に転換、「薬を与えず、自然を与えよ」のスローガンを掲げて、薬漬け近代養鶏に反旗をひるがえし自然養鶏を始める。
自然養鶏型自給自足農業の樹立を目指し、その実践は、朝日新聞の連載特集「食料」欄に報道され(昭和57年11月7日)独自の無農薬農法として注目を浴びる。田畑の作物はすべて自給用、卵の販売にによってのみ「都市」とつながる。昭和50年ごろから「安藤昌益」の関係資料の精読・研究とその実顕的生活は、徐々に確固たる中島哲学を醸成し、平成4年本書の全身となる小冊子「都市を滅ぼせ」(非市販本)発表。有識者から大きな反響と高い評価を得る。
著書に「自然卵養鶏法」(農山漁村文化協会、1980年)「みのむし革命ー独立農民の書」1986年がある。
人間の暮らしは、最高でこの江戸時代で終わるようにすべきだった。車、電化製品、コンクリート、機械、化学物質、石油、学校、病院、船、飛行機など必要なかったのではないか。
例え人間の命が20年、30年伸びても、現代の様に時間、金に追いまくられ、老いれば寝たきりになったり、過激な治療の病院で死ぬよりは自宅で老衰で亡くなった方が幸せではないか。